Buddha Brand【ラッパー解説】90年代日本語ラップブームを作った黒船。名曲「人間発電所」を生んだ逆輸入クルー
今回は90年代の日本語ラップブームの火付け役の1角、アメリカから逆輸入された伝説的グループBuddha Brand(ブッダブランド)の紹介です。
DEV LARGEさん(デヴラージ)・CQさん(シーキュー)・NIPPSさん(ニップス)・DJ MASTERKEYさん(マスターキー・以下敬称略)の3MC1DJのグループです。
2015年に45歳という若さで急逝してしまったDEV LARGEの一件はファンや関係者にとっても衝撃的な出来事で、日本のヒップホップ業界の宝を失う大変悲しいニュースとなりました。
日本語ラップの歴史を語る上では絶対的な存在である彼らの魅力を今回は解説させていただきます。
N.Yで結成された黒船的逆輸入クルー
80年代後期、日本にHIPHOPのヒの字も根付いていないこの時代、海の向こうニューヨークでは後のレジェンドとなるグループが結成されました。それがDEV LARGE、NIPPS、CQ、DJ MASTERKEYの4人で構成される『うわさのちゃんねる』です。
これが後に『Buddha Brand』と改名され来日し、『黒船』として日本のヒップホップ史の歴史に大きくその名を刻むわけですが、彼らは日本にラップという音楽を広めただけでなく、HIPHOP精神を訴えた大きな存在である事をまず説明させていただきます。
何にも縛られない絶対的アイデンティティ
DEV LARGEがテレビで「日本って人と違う事やってると色々と言われちゃうじゃないですか、何でも型にはめたがるっていうか。でも自分が正しいと思う事を自信持ってやってればそんなの関係ないんですよ」と語っていました。
現在より遥かにマイナーだったラッパーという立場で、昭和の教育がまだまだ根強く残っている95,6年にこんな事を堂々とNHKで言ってたんですよ?
このマインドこそHIPHOPの根幹を成すものだし、「自分たちのやる事が分かっていれば批判して来るヤツなんて知らねえ」という芯のある生き方をしていく!というメッセージをこの頃から自分達の活動で訴えていました。
後述する日本のレジェンド達もこの考えを皆が持っていて、まさに当時の閉鎖的な日本の常識という『権威』に異を唱えるレベルミュージックとしての在り方そのものでした。THIS IS HIPHOP!
今でこそこういったメッセージはよく聞かれますが、現在第一線で活躍する20代、30代の日本のヒップホップアーティストの大半も彼らから大きく影響を受けている事は間違いないと思います。
第一次HIPHOPブーム
彼らが来日した90年代半ば、雷家族・RHYMESTER・Microphone Pajer・キングギドラ・スチャダラパー・Soul Screamなどの活躍で日本では『第一次HIPHOPブーム』(俺が勝手にそう呼んでるだけですがw)が起きています。
もちろんその中でBuddha Brandも大看板の一角で、その他たくさんのラップグループが活躍しそれぞれがその個性を存分に発揮してシーンを盛り上げていました。ではこのBuddha Brandのオリジナリティとは何なのか。
アメリカで活動していた逆輸入グループと聞くと『アメリカのHIPHOPを日本でまんま体現したパイオニア的存在』という風に思われるかもしれませんがそれはちょっと違うかと自分は解釈しています。
上記のコンセプトで言うならその役はどちらかというと当時のアメリカのHIPHOPを日本語に置き換えたキングギドラが当てはまるかと思います。
ILL(イル)で自由な表現
『自由』という表現はありきたりな説明なんですが、彼らのスタイルはまさに何にも縛られない『何でもアリ』の表現に尽きると思います。
本場のHIPHOP表現が混じりつつも和を感じさせ、かつ日本語も英語も使い、歌詞の内容も日本のサブカルを匂わすものもあったりしたかと思えば過激な事を言ったりなど、とにかく縛られない自由な表現はまさにオリジナルでした。
例えばNIPPS、「自分は日本語も英語もカタコトでしか喋れないからああなった」という彼の表現は常人ではまず思いつかないラップで、彼の代名詞である『ILL(イル・病んでいる・病的にヤバい)』という言葉が本当にピッタリな表現でした。
この『ILL』というスラングは現在では当たり前のように日本のラップなどでも聞かれる様になりましたが、この言葉を広めたのは間違いなく彼らの存在が大きいと思います。
日本語ラップクラシック『人間発電所』
やはり彼らを紹介するには96年リリースのデビュー曲『人間発電所』は欠かせません。このEPはヒップホップに興味のない人達までもが手を出すという異例の現象が起こる程の快作で、日本語ラップのバブルと共に彼らの名も一気に知れ渡ります。
この年に行われた伝説のイベント『さんぴんCAMP』出演、名曲『証言』のデブラージの参加に加え、翌年97年にはトヨタとのタイアップで『天運我に有り(撃つ用意)』の曲と共にCMに出演するなど大活躍を見せています。
NIPPS脱退からの失速
ただ、先の『天運我に有り(撃つ用意)』はNIPPS脱退後のため2MCとなっています。理由はラップに対する2人の熱量の違いによる仲間割れです。『鬼だまり』というイベントではステージ上で喧嘩になる場面もありました。
これ以降Buddha Brandの活動はややペースダウン、DEV LARGEも自身のレーベルを立ち上げ若手をフックアップするプロデューサーとしての活動に力を入れ始めます。たしか「俺の本業はラップじゃない」みたいな事をデブラージが言い始めたのもこの辺です。
実際に2000年のアルバムリリース以降はBuddha Brandとしての活動は事実上休止の状態になり、この後はメンバーそれぞれが個々に活動していく事になります。
考えてみると・・・
記事を書いてみて思ったんですが、先に挙げたストリートスタイルのHIPHOP先駆者的グループで結成からコンスタントに活動しているグループって少ないですね。
キングギドラはファーストを出してしばらく活動休止、Microphone Pajerも同じくベストアルバム発表後に休止、雷家族もおなじく休止しています。ファン目線から見ればそこがまた逆に味のある歴史に感じられる部分もあるんですけどね。
アメリカ西海岸のN.W.Aがフルメンバーだったのがほんの一瞬だったからこそロマンがある、みたいなね・・・。
とりあえずBuddha Brandはいずれにせよ要チェックですぜ。もっと語りたいとこですがそれはまたDEV LARGE、NIPPSの個別記事にて解説させていただきやす!
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