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KEN THE 390【ラッパー解説】若手のフックアップに力を入れる『DREAM BOY』代表取締役社長

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今回はフリースタイルダンジョンの審査員でもお馴染み、さわやかなルックスとキャラクターで大人気のKEN THE 390さん(ケンザサンキュウマル・以下敬称略)の紹介です。

強面な印象のある従来のラッパーイメージとはかけ離れた''優しいお兄さん''のようなケンザ390。自身のレーベル『DREAM BOY』の活動コンセプトの一つとして最近の若手を次々と世に送り出しチャンスを与える事で業界の活性化を図っています。

現在ではいつのまにか日本のHIPHOP業界にいなくてはならない男になっているKEN THE 390の魅力を今回は解説させていただきます。

  

早稲田⇒リクルート⇒ラッパー

高校時代から音楽活動を開始していたKEN THE 390は早稲田大学在学中にはすでに音源をリリースしています。当時はEI-ONE、はなびと3人で『りんご』というグループで活動していましたね。

っていうか早稲田出身のラッパーって結構多いですね。RHYMESTER(ライムスター)SKY-HI(AAA日高光啓)、MELLOW YELLOWもそうだったような・・・『早稲田ソウルミュージック研究会』ってのがあるんですよねたしか。

大学卒業後はリクルートに就職しサラリーマンとして生活する傍ら、時間がない中でも音楽活動をしていたことで自分を保っていたとインタビューで話しています。

「仕事がとても忙しかったのでその時は逆にラップが息抜きになっていた。家に帰って1時間くらいラップ書いて寝るような感じ。むしろラップやってるから平常心を保てた。多分テレビ観て寝るような生活してたら、リセットしきれなかった」

 

しかし音楽活動も軌道に乗ってくると仕事との両立が段々と厳しくなっていきます。

「忙しかった時は仕事帰りにスーツのままスタジオへ行き、始発で家に帰りそのまま会社へ行く、睡眠は会社の昼休みに公園で寝る、この生活を1週間ずーっとやる、みたいな。これが続くようになってさすがにヤベーなと思って会社を辞めました」

 

現在では有望な若手を持ち上げる立場に

リクルート退社後も音楽で生活できる状況ではなかったKEN THE 390は貯金を擦り減らしながらも音楽活動を続け、徐々にプロップスを築き上げていきます。

 DARTHREIDER(ダ―スレイダー)の『Da.Me.Records』での活動から、メジャー契約、MCバトル優勝、そして2011年末、遂に自身のレーベル『DREAM BOY』を設立するに至ります。

このドリームボーイの楽曲は自身の客演に様々な若手有望株を誘い、KEN THE 390の発信力を使って次世代のラッパーを世にフックアップしていく役割を果たしていて、このレーベルの存在は現在シーンに無くてはならない存在となっています。

  

バトルもめちゃくちゃ強い

KEN THE 390は現在フリースタイルダンジョンでの精密なジャッジマンとしてもお馴染みですが、彼自身のMCバトルの実力も折り紙付きです。

2005年のビーボーイパークに出場しているのでかなりのベテランですが、ここ最近は第一線からは退いていて、審査員などの裏方に回る事が多いです。

呂布カルマが『言葉の重みおじさん』ならKEN THE 390は『正論おじさん』と言ったところでしょうか。話す内容にスキが全然ないので上げ足も取り辛く、よく相手から「てめえ理屈で正論ばっかいいやがって」みたいな事をよく言われます。

ダンジョンの審査コメントでもそうですが、頭が物凄くいい上に要点を分かりやすく伝えるのも上手いので、バトルにもそれが大きく反映されていて、なおかつ韻も固い穴のないバトラーです。

彼は普段話す時は非常に温厚な性格でオラつくことなどまずありえない人ですが、心の内に内在している闘争心はバトルでしっかりと見て取る事が出来ます。カッコイイですね。

 

優しくさわやかなB-BOYをチェック

どんな職業でもうまくやっていきそうな気がする彼ですが、HIPHOPファンからすれば、ラッパーという職業を選んでくれてありがとう!って感じです。

若手に夢を届けるドリームボーイKEN THE 390を是非チェックしてみて下さい。

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